正しい緊張感を持って!
3:11の時、東京都心では震度5強で、高層ビルがなびくのを見て恐怖を感じた人も多かったと思います。今年の前期、名古屋と大阪で、防災啓発セミナーを行いましたが、危機感に大きな違いがあるのを知らされました。実は3:11の時、名古屋、大阪では揺れを体験なかったからでしょうか。今後30年で70%という発生確率の南海トラフ地震では、名古屋、大阪では5mの津波が押し寄せ、最悪の場合、JR大阪駅、JR名古屋駅まで浸水するという予測が出ているにもかかわらず、緊張感はさほど無いように見受けました。100年、200年先の話ではありません。今後30年で70%ということは、30年後に70%なのではなく、「今日から30年の間に」という事であることを忘れないで欲しいです。
東京でも3年半も経つと、少し緊張感が無くなってきている感じもあります。しかし、日本列島ではかつてないほど、大きな地震が多発しています。今年に入って四国の伊予で震度5強、最近も青森で震度5がありました。東北の余震も続いています。また、関東付近では房総南東沖で震度2−3の地震が多発していますし、8月16日には伊豆大島で震度3の地震も起っています。油断できない状況です。「もしも」から「いつも」の備えが必要です。
その瞬間は何もできない!
現実、震度6以上の大地震の瞬間は固まってしまい、「何も出来ない」と考えておいた方がいいでしょう。とにかく身を低くし、隠れ、しっかり掴まり、やたらと動き回らないようにすることです。最近は、Shake Outというシンプルな防災アクションが世界的に広がっています。
むしろ、大きな揺れが一旦収まった後、どうするかです。スナックなど狭い地下の部屋や海岸近くの地下鉄駅にいる場合はともかく地上へ出て、なるべく高いところへ避難する必要があるでしょう。
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インテリアの直撃に注意!
自然災害の死の多くは自宅屋内で起っています。大きな地震の場合は家具や物が倒れてきます。就寝時が一番、無防備なので、寝室の物の配置に注意しましょう。家の耐震化、家具の固定が防災の基本です。阪神淡路大震災ではインテリアや、テレビのリモコンが水平に飛んで来たということです。震度6以上ですと、物の直撃回避と避難経路の確保が大事になります。いざ、逃げようにも落下物や転倒した家具などで出口が塞がれてしまうケースがあります。本棚の本やCDは床に飛び出します。ぶら下がった照明は落ちてきます。また割れたガラスで床が歩けないということもあります。モノがあちこち飛び散り、配置が変わりますので、緊急用ライト、メガネケースなどは枕元に、部屋にはスリッパを用意しておきましょう。大きい地震では家が傾くこともあり、緊急持ち出しバッグも押し入れの奥に入れておくと、取り出せなくなる場合もあります。
火は危険!
地震直後は、状態は元のままではありません。物を取りに帰る時など注意が必要です。壁にヒビが無いか、家が傾いていないか確認してください。余震で家が倒壊することもあります。また、ガス漏れなどがあり、不用意に火を使わない事が重要です。暗い場合はライターではなく、手回しライトなどを使ってください。
大震災が起るとどうなるのか?
ちょっと静まって、想像してみてください。特に都心では電気に頼った生活をしているので、電気が止まるとどうなるかです。電気が止まれば、水も止まり、情報連絡手段も止まるということです。ライフラインが突然止まったら?それは・・・
ライフラインが止まる。それは原始生活以下になるということです!
さらに、どうなるのか「地震イツモノート」(ポプラ社)から引用し、コメント付けてみます。
○
明かりがなくなる。
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○
情報はなくなる
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○
掃除はできない
とにかくモノが散乱していますが、停電なので、電気掃除機もつかえません。阪神淡路ではガムテープが役立ったそうです。
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連絡は取れない
お父さんが都心で仕事をしている時、大地震がると3日から1週間帰って来れない事態も発生します。携帯は通じないでしょうから、NTTの171サービスなど、前もって安否確認の方法を家族で話し合っておく必要があります。家が全壊などの場合に行く避難所も確認しておくほうがいいでしょう。
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水はなくなる
普段から水をためておく重要性はいくら強調しても足りないくらいです。
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○
食べ物はない
最低3日分の食料の備蓄。これがあるとないとでは命の分かれ目となる可能性があります。コンビニからはあっという間に物が無くなるでしょう。缶詰など余分に備蓄しておきましょう。ただ辛いものなどは喉が渇き、余計に水を必要としてしまうので注意しましょう。カセットコンロがあればお湯がわかせてカップ麺なども食べられます。通常の震災では3日もすると水や食料の配給が始まりますが、南海トラフや首都圏直下のような国難時には、食料不足が長期化する可能性があります。ちなみに食器やテーブルも使えないかもしれないので、食事がまともにできません。お皿洗いもできないので、サランラップを皿に巻いて使う等の手があります。缶詰があっても缶切りが見つからなくて開けられないということがないように。できれば缶切り無しで開けられるスタイルのものが望ましいです。
○
着替えがなくなる
衣類が取り出せなくなったり、火災などで消失してしまうかも知れません。
避難所にもっていく緊急バッグの中に下着も数枚入れておくといいでしょう。女性は生理用品などの備えも必要です。阪神淡路時には下着をタオルで代用ということもあったようです。
○
足場は悪くなる
屋内も屋外も瓦礫やガラスで足場が悪くなります。底のあついスニーカーなどが必要です。車は使えないので、自転車を使用することになります。
○
ホコリはまう
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(防災服のイメージ)
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閉じ込められる
家具が倒れたり、家がゆがんだりしてドアが開かなくなることがある。トイレなど柱が多いところが比較的安全と言われますが、閉じ込められる危険性もあります。避難する場合はドアを少し開けておきましょう。シャッターは歪みで開かなくなることがあるので、他の出口も確保する必要があります。とにかく逃げ道を確保。入り口近くに家具を置かない。閉じ込められた時は居場所を知らせる。屋外でも物の下敷きになったりして動けなくなることもあります。そのため笛を携帯しているといいですね。
○
ものは取り出せない
せっかく緊急用バッグを用意していても、押し入れの奥にあって取り出せなくなる可能性もあります。震災後の部屋は元の部屋ではありません。あらゆるものが散乱しており、いつものところにいつものモノは無いのです。モノが見つからなくなることを知っておきましょう。懐中電灯などは各部屋に置いておきましょう。家族が一人ずつ1本寝床に用意しておくのが望ましいです。いっぺんにはすべて持ち出せないので一次持ち出し品と二次持ち出し品と分けておくのが望ましいです。以下、阪神淡路の被災者の証です。
「普段からバッグの中にはスカーフ、大判のハンカチ、食品用のビニール袋、小銭、カード(当時、通帳があってもハンコがなければお金を出してくれなかったから)マジックを入れている(ビニール袋にどこに逃げたかを書いておける)。鍵、携帯はかばんに繋いでいる」
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町の風景が変わってしまう。
阪神淡路では、ある地域は一面焼け野原になってしまい、すっかり風景が変わってしまいました。そうすると土地勘が狂ってしまいます。今後の首都圏直下では環七沿いの木造密集地帯で火災が発生し、焼け野原となる可能性があります。歩いて帰宅する際、風景がまったく変わってしまう可能性があります。特に夜はさらに移動が困難になります。地震直後は、すぐ近くの避難所であっても近隣の家が火災で、煙もすごく、思ったように前へ進めない可能性もあります。
○
弱ってしまう
地震直後は、気力も体力も減退してしまいます。「我だけという人ばかりではダメ」「一人では何も思いつかなかった。二人、三人いればなんとか思いつくんでしょうね」
避難所の生活は精神的にも、肉体的にも厳しいものになります。夜も人の話し声、照明、また夜中に物資が届いたりで、なかなかゆっくり寝られません。急にプライバシーが無い生活に入ります。震災後はサバイバルです。不健全な生活を改め、普段から健康体でいることが意外と大事なことになります。
阪神淡路では被災者は30万人、救助隊は1万人。まわりには怪我した人がいる。その状況の中で、近隣、地域コミュニティの力がとても大きいものとなったのです。自力脱出困難者の8割は近所の人に助けてもらったのでした。
「隣の人とあいさつしている。それが大きな防災でした。」
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一般社団法人 災害支援団体 クラッシュジャパン
次期東京災害対策担当
日本防災士機構公認 防災士
栗原一芳
contact@crashjapan.com