災害時の流言、デマ
(3:11 津波被害の家、震災後盗難犯罪も発生した。)
流言とは、「事実の確証なしに語られる情報であり、根拠のない風説、うわさのこと」と定義されています。流言の中でも「悪意」を含んだものがデマ。
流言のタイプ
1.災害の前兆・予言に関する流言
2.災害、被害の原因に関する流言
3.災害直後の混乱に関する流言
4.災害状況に関する流言
5.災害再発に関する流言
1923年の関東大震災の時には「品川が津波でやられたらしい」「首相が暗殺されたらしい」「富士山が噴火した」「伊豆半島が沈んだ」などの流言が飛び交ったようです。情報が欲しいのに、情報が無い。そうすると流言が出回るのです。流言を防ぐには行政からの、具体的な、明確な情報が「早く」伝えられることが重要です。地域住民や避難所への避難者へは、被害状況の負の情報だけでなく、「安心情報」も伝えることを心がけて欲しいものです。今回、広島ではかなり早い段階から「心のケア」部隊が避難所に派遣されたようです。また、避難所では、ボランティアによる「温かい汁」が提供されました。そのような情報は「安心情報」の1つでしょう。平常時から防災および、災害に関する啓発を行い、根拠のない情報に惑わされないよう努めたいものです。
(関東大震災時の浅草)
風評は、「事実に反することや些細なことが大げさに取り上げられ、世間でうわさが広まり、特定の人物、業界、地域が被害を受けること。」と定義されています。主に経済的な被害を発生させます。マスコミ、インターネットで広まり、観光業者や農業関係者が被害を受け易くなります。
今回、広島では、ある特定の人種が窃盗をしているなどというデマもインターネットに広まったようです。こうした流言、デマは悪意、好奇心、恐怖、不安、時として敵意などの感情と深く関わっており、「連鎖的」であるとともに「拡散的」であり、情報はねずみ算式に広がっていきます。ツイッターでは字数も限られ、十分な説明のないまま、ワンフレーズが一人歩きします。しかも、瞬時に多数の人の目に触れてしまいます。根拠のない情報が一人歩きすると混乱や、さらなる不安、恐怖を煽る事に成ります。事実確認のためには、行政からの情報はもちろん、コミュニティFMが役に立ちます。
災害は人種問題や貧困弱者問題など、社会の潜在的な問題をあぶり出します。関東大震災時のように暴動、虐殺にまで発展することもあります。また、残念な事ですが、東日本大震災時も心無き人達による窃盗が行われたそうです。
防災、防犯ともに、近隣のコミュニティ力が鍵となりそうです。
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関東大震災時における朝鮮人虐殺
「9月、東京の路上で」という本を読みました。1923年関東大震災時に起った朝鮮人虐殺の証言集です。この東京で少なくも何百人単位の朝鮮人が東京の市民(自警団)によって殺害されたとはショックです。最近、歴史修正主義の流れの中で朝鮮人虐殺は無かったとの主張も出て来ていますが、内閣中央防災会議のリポートでも、この件は歴史的事実として記されています。詳しくは、
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923-kantoDAISHINSAI_2/
1923年、9月1日、土曜日、午前11時58分、相模湾を震源とするマグニチュード7.9の大地震が東京を襲いました。死者行方不明者は10万人を超えました。大災害時には情報が寸断されたり、不足するので、流言やデマが飛び交います。「品川が津波にやられたらしい」「首相が暗殺された」など流言が飛び交いました。その中で次第に膨らんでいったのが「朝鮮人の暴動」でした。「朝鮮人が各地に放火している。」「朝鮮人が井戸に毒を入れて回っている」
朝鮮人が、朝鮮人が・・・朝鮮人暴動の流言は地震当日の午後、横浜と東京の一部で発生し、夕方には実際に朝鮮人の迫害に帰結したといいます。
その流言を信じた人々は恐れて、防衛のために町内会で自警団を立ち上げ、「暴動」に備えたのでした。それが嵩じて路上で朝鮮人の疑いがある者を殴ったり、殺したり、警察に突き出したりしました。そのデマを警察や行政までもが信じ、「お墨付き」の警戒情報を流してしまったのです。そして軍や警察も虐殺に加担していたようです。当時、特高警察(公安)のトップであった正力松太郎がのちに書いているところによると・・・「しかるに、鮮人がその後、なかなか東京に来襲しないので、不思議におもっているうちようやく夜の10時ごろに至ってその来襲は虚報なることが判明いたしました。・・警視庁当局として誠に面目なき次第であります。」司法省の報告では、朝鮮人に間違えられて殺された日本人も58人いたと言います。
今日、右翼化が進み、排外主義、ヘイトスピーチが見られる中、首都圏直下型地震が起った時、どうなるのか心配です。過ぎ去った過去の話ではありません。
悲惨な記録の中で、ひときわ励まされた記事がありました。以下、引用してみます。
「小山駅前では、下車する避難民のなかから朝鮮人を探し出して制裁を加えようと、3000人の群衆が集まった。この時一人の女性が、朝鮮人に暴行を加えようとする群衆の前に手を拡げてたちはだかり、『こういうことはいけません』『あなた、井戸に毒を入れたところを見たのですか』と訴えたという逸話が残っている。1996年、この女性が74年に92歳で亡くなった大島貞子という人であることが、『栃木県朝鮮人強制連行真相調査団』の調査で分かった。彼女はキリスト教徒であったという。」
震災後、政府はこの問題をどう扱ったのでしょう。
「朝鮮人団体や労働組合、キリスト教徒などは震災直後から抗議集会、あるいは追悼集会を開いたが、それらは警察の強硬な取り締まりを受けた。集会では朝鮮人が声をあげると、たちまち集会への解散命令が下り、警察隊がなだれ込んでくるのが常であった。政府は虐殺の事実を忘れさせたかったのである。」
戦後、行政の妨害を受けずに住むようになると、在日朝鮮人による追悼碑の建立が各地で行われ、日本人が主導する碑の建立もあらためておこなわれるようになったそうです。
何とか、顔の見える「防災コミュニティの創出」を震災前に作り、このような惨事を再び起こさないようにしたいものです。
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「9月東京の路上で」1923年関東大震災 ジェノサイドの残響
加藤直樹著 発行者:ころから
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一般社団法人 災害支援団体 クラッシュジャパン
次期東京災害対策担当
日本防災士機構公認 防災士
栗原一芳
contact@crashjapan.com
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