「戦後の日本では、宗教や死生観について語り、この暗闇に降りてゆく道しるべを示すことのできる専門家が死の現場からいなくなってしまいました。人が死に向かい合う現場に医療者とチームを組んで入れる、日本人の宗教性にふさわしい日本型チャプレンのような宗教者が必要であろうと考えてきました。」
(岡部 健)
東北大学医学部臨床教授であった岡部健(享年62歳)先生は東日本大震災をきっかけに日本型チャプレン=臨床宗教師を提唱しました。震災直後から、宮城県内の宗教者が中心となって「心の相談室」を立ち上げ、被災された方々のお気持ちに寄り添い、お話に耳を傾ける「電話相談」、被災地に行って、お話を聞く「傾聴移動喫茶 カフェデモンク」、広くラジオを通して支援のメッセージを届ける「ラジオ版 カフェデモンク」などの活動が展開されてきました。岡部先生は2011年5月に「心の相談室」室長に就任しています。
岡部先生は医師として20年近く、在宅での「緩和ケア」と「看取りの支援」に取り組んでこられました。特に宗教の信仰をお持ちという訳でなかった先生ですが、終末期の患者さんに接して、どうしても「スピリチュアル」な悩みにお応えすることが大切であると感じてきたといいます。ご自身、胃と肝臓にがんが見つかり「予後10ヶ月」と宣告されたのでした。その時、死に対しての「道しるべ」が無く、真っ暗な闇が広がっている気がしたといいます。震災後、特に必要を痛感し、「臨床宗教師」の養成のための拠点となる「実践宗教学寄付講座」の開設を東北大学に働きかけ、2012年の4月に開講に漕ぎ着けました。
今回は、東北大学実践宗教学寄付講座ニュースレターに掲載された岡部先生の記事より引用して、この働きへの思いをご紹介致します。
闇に降りいくための道しるべ
「個人として生きてきて、生きてゆく手法はいくらでもあるんですけれども、死という闇に降りてゆく手法といいますか、手順が全く準備されていないし、提示されていない。死という闇に降りてゆくための道しるべを今の社会が失っちゃっている。ここの部分に関しては医療という論理性を持った学問ではとてもできませんので、やっぱり何千年の歴史を持たれている宗教者の方のお力添えをいただかないとやってゆけないんじゃないかと、ちょうど一昨年、考えていたところだったんです。」
儀礼の力
また、沢山の遺体と接して気持ちが落ち着かない看護婦さん達のために、たまたま近くにいたボランティアのお坊さんを呼んで、お経をあげてもらった体験から儀礼について
「その儀式、儀礼によってみんなの気持ちがすうっと落ち着いていったんですね。私みたいに医療職をずっと続けてきた人間にとって、そういう儀式というものがここまで人の気持ちを落ち着かせることができるのか、と興味を覚えました。」
被災地でのケアと宗教者の役割について
「実際に被災地に行きますと、被災した人たちは医者である私なんかより、一緒にいる若い頭を丸めたお坊さんの方に行っちゃいますからね。なによりも横で一緒にお話を聞いておりますと、医療職やなんかに話する内容とぜんぜん違うんですよ。だから医師とか看護婦とか、臨床心理士とか、そういう領域で呼ばれている人間達にしているよりも、おそらくもっと奥深いところの訴えを宗教者の方に投げかけているんだなと、実感させていただきました。」
「極端な例だと被災地ではお化けが見えちゃうような人が一杯出てくるわけですよ。お化け見ちゃったという話は医者には言いません。医者に言ったら病気になっちゃって、病気なら薬使おうという話になっちゃう。そうするとわれわれのほうに出てこない情報がやっぱり宗教者の方にずっと回ってきますし、またなんだかお経でお化けが出なくなったりするんですよね。何故なんだろうという感じなんだけれども(笑)。医療職と宗教職というのは実は、在宅とか地域ケアを担当してゆくときは、イコール・パートナーシップのチームの一員なんだということを、もう一回思い起こさなきゃいかんという気がいたしました。」
医療と霊性について
「医師とか看護婦、リハビリの人間、ソーシャルワーカー、ケアマネージャーだとか、沢山の職域があるんですが、そこのところは結局、効率をもとにやってますんで、ほとんど合理的にものを分離しながら話を進めている。そうするとそういう場所からこぼれ落ちてしまう人たちがたくさんでるわけです。そういう人たちに対しては宗教者のケアが全面に入っていなきゃとてもやれないんじゃないかという気がいたしました。例えばアメリカなんかでの在宅のホスピスケア・プログラムというものを考えてみますと、やっぱり牧師さんやチャプレンがやるんですよ。いずれにせよ、WHOの健康定義のうち、身体、精神、社会性については近代合理主義の中で整備されてきたんですね。そこからはみ出してしまった『霊性』を包括してゆくことが非常に大切で重要なものになるんじゃないか。これがないと被災地ケアや、われわれがやっていく在宅緩和ケアなんかも心棒がぜんぜん通らない。」
祈りについて
この働きに賛同し、自らも関わる日本バプテスト連盟 南光台キリスト教会牧師の井形花絵師は、看取りの現場に立ち会った経験からこう語る。
「医者でもなく、看護師は一番近いとは思いましたけれど、看護師でもなく、苦しみのただ中でその方が自分をこえた方に開いていく『管』のような役目になる人が必要だということをすごく感じたんです。・・・その中で、祈りなどを通して、その方々が一瞬でも自分をこえた方にお任せできる、そこに寄り添って誰かと一緒にその道を歩んでくれる人、誰かと一緒に委ねる方、ある人にとっては仏かも知れません、私にとっては主なる神ですが、その寄り添いと、その道をその人のためにひらく人、そのような人が必要だと思いました。」
最後の和解の場所
もう一つ、井形師のコメント
「もう1つは、死に至るまでの間というのは最後の和解の場所なのですね。謝ることができる場所、感謝することができる場所。人生を思い返してみられる場所。いろんなことがあったけれども、ああ家族として、この人がいた。たとえ感謝できなくても、あのことは腹が立ったけれども、このことは悪かったな・・・と。臨終の場所、危篤の場所というのは、その意味ですごく重要な場所だということがわかって行きました。」
次にくる大震災の後にも、霊的な必要が出てくるでしょう。臨床宗教師には宗派や勧誘から自由な「公共性を持った宗教者」というチャレンジもあります。他の地域でも、震災前から宗教者と医療関係者の間で、こういったテーマで話し合いができる機会が持てると良いのではないでしょうか?
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栗原一芳
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