2015年10月23日金曜日

首都水没

東京は世界で最も危険な都市

元都庁の土木専門家が書いた「首都水没」。以下の箇所を読んだ時、衝撃を受けた。

「東京の場合は、大潮の満潮時にゼロメートル地帯の堤防のどこか一ヶ所を破壊するだけで、首都が水没し、地下鉄、共同溝、電力通信の地下連絡網のあらゆる機能が失われるのです。『日本沈没』です。日本を攻撃するのに大量の軍隊も核兵器も必要ありません。無人攻撃機1機で足りてしまうかもしれません。ゼロメートル地帯の堤防をわずか一ヶ所決壊させるだけで、日本は機能を失うのです。」(P240)



東京は日本の頭脳。そして、経済、メディア、政治などすべての中枢が都心部に集中している。中央区や港区などは低地エリアが多く、普段は便利な地下鉄を伝って荒川や隅田川の氾濫した水が流れ込む。そうすると丸の内、銀座、新橋まで浸水してしまう。地下鉄の階段入り口には1mの止水板があるが、想定されている2m以上の浸水ではそれを超えてしまう。スイス再保険会社(保険会社の保険会社)「スイス・リー」が2013年にまとめた「自然災害リスクの高い都市ランキング」で東京・横浜地区が世界第1位となっているという。世界616都市を対象に地震、洪水などでの被災者を推計したものだが、その中で東京がトップ。ちなみに、2011年の国連大学のリポートによると自然災害危険国別ランキングで日本は世界5位となっている。




日本の国土の約10%が洪水危険地域。多くは名古屋、大阪、東京という湾岸の大都市地域。全国民の約50%はこの危険区域に住んでおり、日本の総資産の75%がそこに集中している。中央防災会議の報告では利根川氾濫の場合、最悪で東京の4分の1が浸水。(東京の約4割がゼロメートル地帯)浸水区域内人口は230万人、死者は約6300人を想定。利根川、江戸川、荒川の堤防決壊に伴う浸水想定区域を重ね合わせると「居住空間が水没」「浸水継続時間3日間以上」に該当する要避難者数は約421万人。最大浸水深は5m以上となっている。当然、ライフライン、交通も麻痺する。




近年の地球温暖化により、台風が大型になり凶暴化している。全国約97%の自治体が過去10年間で水害を一度は経験しているという。川が氾濫しなくても局所的ゲリラ豪雨などで排水能力が間に合わなくなれば洪水(内水洪水)が起こる。東京都も地下貯水池を作るなど対策を進めているが、豪雨の増水には十分には対処できていない。


地名は水害の履歴書

都内で浸水しやすいのが溜池山王の交差点。名の通りもともと溜池で水が溜まりやすかった。川、灘、牛、沢、深、竜などが付く地名も要注意。日比谷も入江だったし、渋谷も地形的にすり鉢の底(谷)になっている。専門家は赤羽、荻窪なども地形的に危険があると指摘している。また、コンクリート造りの川は水を吸い込まないため、豪雨で急激に増水する可能性がある。石神井川では2010年7月5日の豪雨で都内450戸(床下、床上)が浸水している。


荒川決壊のシュミレーション
国土交通省荒川下流河川事務所作成のDVDより。視聴は、http://www.ktr.mlit.go.jp/arage/arage00061.html

荒川上流(秩父地区)に3日間550ミリの雨が降ると堤防決壊の可能性あり。すでに平成19年9月には401ミリの雨量を記録。その日が近づいている!台風が去って下流では雨も止み、安心しているが、川の水がさらに増水する。荒川には治水弱点地が2つある。1つは新荒川大橋近くを通るJR京浜東北線の赤羽駅と川口駅の途中にある鉄橋。もう一つは成田へ向かう京成本線の鉄橋。それは鉄橋が堤防より低い位置にかかっているからだ。


京浜東北線の鉄橋付近の堤防が決壊した場合1時間で赤羽が2mの浸水。7時間で氾濫水が北区、荒川区、足立区、台東区に至る。12時間で下町エリアも浸水。東京駅構内も浸水。13時間で中央区、千代田区も浸水。首都機能が停止する。兜町の証券取引所なども浸水し世界経済にも影響。水が引くのに2週間から1ヶ月。通信網もやられるので、被害状況の確認が遅れる。堤防決壊は増水による決壊、これを越水決壊というが、それ以外にも浸透決壊がある。これは長雨により堤防内に水が浸透し、ある時点で一気に土砂崩れを起こすもの。この場合、周辺は一気に洪水状態となる。



対策篇
1.まずはハザードマップ。市町村役所でもらえる。最近は役所のホームページでも見られるのでスマホでもOK.これでどこが、どのくらい浸水するのか確認する。以下は台東区のハザートマップ。最悪5mの浸水もあるので、2階建家屋の屋根まで浸かってしまう。5階以上に避難が必要。大型台風の場合は暴風雨になる前日にゼロメートル区外の知人宅などに避難するのも一案だ。そのような区外避難を実現する行政間、民間団体でのネットワークが大きな助けとなるだろう。ともかく避難先を前もって用意しておき、早めに避難する。




2.氾濫した水はさらに低い方へと移動する。隣町だからといって安心できない。また氾濫水はすぐには無くならない。水が捌けるのに2週間以上かかり、救助までに数週間かかる可能性もある。ライフライン、交通が麻痺する。浸水すると上水、下水が使えない。つまり、トイレが使用不可となる。地震対策同様、水、食料、ライト、緊急トイレの用意が必要である。携帯ラジオで情報を得ることも忘れずに。

3.  水没したドアは50cmで100キロの水圧がかかりとても一人では開けられない。ドア
  の下部に足をつけて体重をのせ、左手でノブ、右手でドアの上部を押すと開くことが
 できるという。ともかく、豪雨の時は地下を避け建物の上階に避難することが望まし 
 い。(ただし、5m浸水地域では5階以上の建物か高台。ゼロメートル地帯では電柱に推
 定浸水高が記されている。)

4.腰までつかるような水の中を歩く場合は、足の肌が出ないようにする。濁流で鋭利なものや石ころも流されてくるので怪我をしないようにする。サンダルは不可。長靴は水が入り込みかえって歩きにくくなるので、足にフィットしたスニーカーのほうが望ましい。

5.浸水した道を歩く時、一番危険なのが蓋の開いたマンホールや溝。傘を杖代わりにして前方の水底を確認して歩くほうがいい。町は停電状態なので、夜間の移動は極力避ける。

6.車中にいる時、水没した場合、窓ガラスを割って外と水圧を同じにしないとドアが開かない。ただし車の窓ガラスは簡単には割れないのでレスキューハンマー(簡単に窓を割る特殊ハンマー)を常備しておくとよい。




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一般社団法人 災害支援団体 クラッシュジャパン
次期東京災害対策担当
日本防災士機構公認 防災士

栗原一芳 (くりはら かずよし)
contact@crashjapan.com




2015年10月13日火曜日

明治からの災害を見る

浜田地震
1872年(明治5年)2月6日に島根県、浜田市を震源とするM7.0-7.2の地震が発生。1000人の死者が出た。前年に制定された「窮民一時救助規則」が適応され、国難の者へとして15日間の炊き出しが行われた。

なお、殻変動が門で京都大学防災研究所の西村卓也准教授は全国に設置されたGPSの測データを使って陸地のどこに地震につながるひずみがたまっているか、詳しく解析した結果、陸側のプレートに海側のプレートが沈み込んでいる場所から離れた、鳥取県から島根県にかけての地域で地下にひずみが集中し、大地震を引き起こす活層がれている可能性のあることが分ってきている。この地域では年間に5ミリ程度、地盤が東へずれ動いているということで陸側のプレートが複に分かれ、ずれ動いていると仮定すると、こうした動きを明できるという。これまでの調で、この地域では長さが20キロをこえるような活層はほとんど確認されていない一方で過去には昭和18年にマグニチュード7.2の鳥取地震が発生し、1083人が死亡している。地震は同じところに起こる。


磐梯山の噴火



1888年(明治21年)7月15日、水蒸気噴火から山体崩壊を起こし、北側の集落が埋没、450人の死者を出す大惨事となった。


濃尾地震
1891年(明治24年)10月28日 岐阜県、愛知県に被害を及ぼす、M8.0 (最大震度7)の大地震が発生。死者7000人、倒壊家屋14万件。総延長80キロの根尾谷断層が動き、6メートルの断層崖が出現した。明治始まって以来の大災害ということで、様々な災害応急対策がとられた。これを契機に災害対策調査機関として「震災予防調査会」が発足。後に東大地震研究所(1925年)に引き継がれることになる。

火災に関しては、銀座大火(明治5年)、神田大火(明治14年)を契機に区画整理、道路計画が進んだ。また、銀座は耐火性建築(煉瓦造りの西洋風町造り)を意図的に進めた。


明治三陸沖地震
1896年(明治29年)にはM8.2-8.5と推定される地震が三陸沖で起こり、津波被害等で22000名の死者が出た。6月16日に宮城県知事より被害報告がなされている。


桜島噴火
1914年(大正3年)1月12日、午前10時5分に始まった噴火は翌日まで続き、火砕流が発生。これにより桜島と大隈半島が陸続きに。12日同日午後6時半ころには鹿児島市と桜島の間を震源とするM7.1(震度6)の地震が起こり、1時間後に津波も発生している。


関東大震災



1923年 9月1日午前11時58分、M7.9の大地震により130箇所から火災発生。10万人の死者が出たが、その9割は火災による死者であった。昼時で火を使っていた時間帯であったことが災いした。両国の陸軍被服廠跡(現在の都立横網町公園)では避難していた人々の荷物に火災旋風が燃え移り、38000人が亡くなっている。都民の6割、150万人が被災者となった。公の助けは遅れ、市民レベルの協力で支援活動が支えられた。地震後のパニック状態の中で、朝鮮人虐殺という二次災害(人災)も起こった。このようなデマによる惨事は二度と繰り返してはならない。


北丹後地震
1927年(昭和2年)3月7日、京都府北部の丹後地方でM7の活断層地震が発生。「活断層」という用語が初めて使われる。この地震により、郷村断層と山田断層が現れた。昭和4年に、郷村断層は国の天然記念物に指定されている。


室戸台風
1934年(昭和9年)9月21日、911.6ヘクトパスカルの強い台風が京阪神地区を襲った。風速60メートルの強風で大阪湾で4メートルの高潮が発生。


東南海地震と三河地震
東南海地震は1944年(昭和19年)和歌山県新宮市でM7.7(震度6〜7)の大地震が発生。続いて1945年(昭和20年)1月13日、M6.8の内陸型直下地震が発生。太平洋戦争中ということで、地震の被害は公表されなかった。


枕崎台風
1945年9月17日、終戦直後の台風だった。


南海地震
1946年(昭和21年)12月21日、M8.0の巨大地震が発生。高知、徳島、和歌山に被害。死者・行方不明者 1300名以上。1944年の東南海地震と合わせて、いわゆる南海トラフ連動地震である。ただし、この時は、東海地震は起こっていない。以来、今までは連動地震は起こっていないが、90年から150年周期なので、周期的には早ければ2030年代になるもよう。


カスリーン台風

1947年に襲来した台風。9月16日には利根川堤防決壊。埼玉、東京へ氾濫水流入。葛飾区の全域と江戸川区、足立区の約半分が浸水。最近のスーパー台風や集中豪雨により,この悪夢の再来が現実的となってきた。


福井地震
1948年(昭和23年)6月28日、M7.1の地震発生。その一ヶ月後(7月24日−25日)の集中豪雨で福井市の6割が浸水。このような複合災害もありうる。

1959年の伊勢湾台風で、各地でひざまで浸水。1981年7月22日、局地的豪雨で、都内で一時間に80ミリの豪雨。目黒川沿岸の商店街で腰近くまで浸水。




こうして見ると、日本は地震、火山噴火、水害の歴史がある。そして、それらは繰り返す。この国に住んでいる限り、想定外とは言えない。

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一般社団法人 災害支援団体 クラッシュジャパン
次期東京災害対策担当
日本防災士機構公認 防災士

栗原一芳 (くりはら かずよし)
contact@crashjapan.com