2015年10月13日火曜日

明治からの災害を見る

浜田地震
1872年(明治5年)2月6日に島根県、浜田市を震源とするM7.0-7.2の地震が発生。1000人の死者が出た。前年に制定された「窮民一時救助規則」が適応され、国難の者へとして15日間の炊き出しが行われた。

なお、殻変動が門で京都大学防災研究所の西村卓也准教授は全国に設置されたGPSの測データを使って陸地のどこに地震につながるひずみがたまっているか、詳しく解析した結果、陸側のプレートに海側のプレートが沈み込んでいる場所から離れた、鳥取県から島根県にかけての地域で地下にひずみが集中し、大地震を引き起こす活層がれている可能性のあることが分ってきている。この地域では年間に5ミリ程度、地盤が東へずれ動いているということで陸側のプレートが複に分かれ、ずれ動いていると仮定すると、こうした動きを明できるという。これまでの調で、この地域では長さが20キロをこえるような活層はほとんど確認されていない一方で過去には昭和18年にマグニチュード7.2の鳥取地震が発生し、1083人が死亡している。地震は同じところに起こる。


磐梯山の噴火



1888年(明治21年)7月15日、水蒸気噴火から山体崩壊を起こし、北側の集落が埋没、450人の死者を出す大惨事となった。


濃尾地震
1891年(明治24年)10月28日 岐阜県、愛知県に被害を及ぼす、M8.0 (最大震度7)の大地震が発生。死者7000人、倒壊家屋14万件。総延長80キロの根尾谷断層が動き、6メートルの断層崖が出現した。明治始まって以来の大災害ということで、様々な災害応急対策がとられた。これを契機に災害対策調査機関として「震災予防調査会」が発足。後に東大地震研究所(1925年)に引き継がれることになる。

火災に関しては、銀座大火(明治5年)、神田大火(明治14年)を契機に区画整理、道路計画が進んだ。また、銀座は耐火性建築(煉瓦造りの西洋風町造り)を意図的に進めた。


明治三陸沖地震
1896年(明治29年)にはM8.2-8.5と推定される地震が三陸沖で起こり、津波被害等で22000名の死者が出た。6月16日に宮城県知事より被害報告がなされている。


桜島噴火
1914年(大正3年)1月12日、午前10時5分に始まった噴火は翌日まで続き、火砕流が発生。これにより桜島と大隈半島が陸続きに。12日同日午後6時半ころには鹿児島市と桜島の間を震源とするM7.1(震度6)の地震が起こり、1時間後に津波も発生している。


関東大震災



1923年 9月1日午前11時58分、M7.9の大地震により130箇所から火災発生。10万人の死者が出たが、その9割は火災による死者であった。昼時で火を使っていた時間帯であったことが災いした。両国の陸軍被服廠跡(現在の都立横網町公園)では避難していた人々の荷物に火災旋風が燃え移り、38000人が亡くなっている。都民の6割、150万人が被災者となった。公の助けは遅れ、市民レベルの協力で支援活動が支えられた。地震後のパニック状態の中で、朝鮮人虐殺という二次災害(人災)も起こった。このようなデマによる惨事は二度と繰り返してはならない。


北丹後地震
1927年(昭和2年)3月7日、京都府北部の丹後地方でM7の活断層地震が発生。「活断層」という用語が初めて使われる。この地震により、郷村断層と山田断層が現れた。昭和4年に、郷村断層は国の天然記念物に指定されている。


室戸台風
1934年(昭和9年)9月21日、911.6ヘクトパスカルの強い台風が京阪神地区を襲った。風速60メートルの強風で大阪湾で4メートルの高潮が発生。


東南海地震と三河地震
東南海地震は1944年(昭和19年)和歌山県新宮市でM7.7(震度6〜7)の大地震が発生。続いて1945年(昭和20年)1月13日、M6.8の内陸型直下地震が発生。太平洋戦争中ということで、地震の被害は公表されなかった。


枕崎台風
1945年9月17日、終戦直後の台風だった。


南海地震
1946年(昭和21年)12月21日、M8.0の巨大地震が発生。高知、徳島、和歌山に被害。死者・行方不明者 1300名以上。1944年の東南海地震と合わせて、いわゆる南海トラフ連動地震である。ただし、この時は、東海地震は起こっていない。以来、今までは連動地震は起こっていないが、90年から150年周期なので、周期的には早ければ2030年代になるもよう。


カスリーン台風

1947年に襲来した台風。9月16日には利根川堤防決壊。埼玉、東京へ氾濫水流入。葛飾区の全域と江戸川区、足立区の約半分が浸水。最近のスーパー台風や集中豪雨により,この悪夢の再来が現実的となってきた。


福井地震
1948年(昭和23年)6月28日、M7.1の地震発生。その一ヶ月後(7月24日−25日)の集中豪雨で福井市の6割が浸水。このような複合災害もありうる。

1959年の伊勢湾台風で、各地でひざまで浸水。1981年7月22日、局地的豪雨で、都内で一時間に80ミリの豪雨。目黒川沿岸の商店街で腰近くまで浸水。




こうして見ると、日本は地震、火山噴火、水害の歴史がある。そして、それらは繰り返す。この国に住んでいる限り、想定外とは言えない。

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一般社団法人 災害支援団体 クラッシュジャパン
次期東京災害対策担当
日本防災士機構公認 防災士

栗原一芳 (くりはら かずよし)
contact@crashjapan.com



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